「自分の人生の中心が会社だった」。かつてそう感じていた”ざくさん”は今、週休3日という働き方を選択し、AI関連の新規事業を手がけている。その大きな転換点となったのは、第三子の誕生を機に取得した5ヶ月間の育児休業だった。
働き詰めの毎日で「最悪の半熟卵」だったと自らを語る彼が、いかにして仕事との距離感を見つめ直し、自分らしい人生の舵を取り戻したのか。その軌跡を追った。
きっかけは育休。「このままではいけない」という漠然とした不安
ざくさんは現在、中学校1年生、小学校3年生、小学校1年生の3人のお子さんを持つ父親。彼が5ヶ月間という長期の育休を取得したのは、2018年から2019年にかけてのことだ。当時はまだ男性の育休取得率が10%に満たず、長期取得者は非常に珍しい存在だった。
「働き詰めの状況で、心身ともに疲弊していました。このままでいいのだろうか、という漠然とした不安が常にあったんです。」
入社10年目を迎え、周囲からはプロジェクトの先陣を切る存在として評価されることもあった。しかし、ざくさん自身の内面は葛藤に満ちていたという。
「自分では思うように成果を出せていない、いつも半熟状態だと感じていました。自分のことを『最悪の半熟卵』だと思っていましたね。周りの目を気にしすぎて、自分のやりたい企画も上手く説明できない。企画にダメ出しをされると、まるで自分自身が否定されたように感じてしまって…。いつの間にか、会社が自分の人生の中心になっていたんです。」
そんな息苦しさから抜け出し、別の人生を切り開くきっかけが欲しい。会社と少し距離を置くことが、巡り巡って会社のためにもなるはずだ。そう決意し、彼は育休の扉を叩いた。
周囲からはキャリアの断絶を心配する声も上がったが、チームのメンバーは彼の決断を尊重し、温かく送り出してくれたという。
「Pricelessな価値」に気づいた5ヶ月間
パートナーからバトンタッチする形で始まった育休。日中は、保育園に通う上の子二人を送り出した後、生まれたばかりの赤ちゃんと二人きりの時間を過ごした。
「当初は、資格取得や読書など、やりたいことリストを作っていました。でも、育休に入って2週間も経たないうちに、そんなことはどうでもよくなりました。何より大切なのは、子どもと過ごすこの時間だと気づいたんです。」
子どもと一緒に昼間の街を散歩する。地域コミュニティの集まりに参加してみる。そこでの出会いは、新たな発見の連続だった。
「ある地域活動に参加したら、自分たち以外は全員がおじいちゃん、おばあちゃんで(笑)。高齢の方がいかに老後を豊かに過ごすかに主眼が置かれた活動だったようです。でも、そうした経験の一つひとつが、会社の中だけでは得られない視野を広げてくれました。」
そして何より、子どもとの時間の中で、数字では測れない「Pricelessな価値」を感じたという。
「家族こそが自分の基盤なのだと、心の底から実感しました。仕事の評価や給与以上に、自分の心が豊かであることが、かけがえのない価値なのだと。心の中がじんわりと温かくなるような、そんな感覚でした。」
「会社が太陽」から「自分が太陽」へ。復職後の大きな変化
5ヶ月の育休を終えて職場に戻ったざくさんには、大きな心境の変化が訪れていた。
「以前のように、上司の言うことを聞いて一生懸命に仕事をすることの意味が、分からなくなってしまったんです。」
その変化は、周囲から「考え方がソフトすぎる」と指摘されることもあった。しかし、直属の上司は、彼の変化をポジティブに捉えてくれた。「育休を通じてストレッチされたざくさんを見て、『育休をとってよかったね』と言ってくれたんです。本当にありがたかったですね。」
仕事の進め方も大胆に変わった。ざくさんはスタートアップやベンチャーの立ち上げに関わっていたが、以前は、様々な審査を経て慎重に企画を進めていたが、復職後はまず自分たちで企画を動かし、事後報告するスタイルに切り替えた。
「審査を待つ時間は事業のスピードを遅らせるし、何より自分たちが信頼されていないように感じていました。発想を転換したんです。以前は会社が太陽で、自分は地球のようにその周りを回る衛星だと思っていました。でも、そうじゃない。自分が太陽で、会社は地球なんだと。自分が中心となって、会社を上手く活用していけばいいんだと思えるようになりました。」
この新しいスタイルで立ち上げた事業が、今では社内の正式なチームへと格上げされ、AIを活用したオーダーメイド型のソリューション開発を手がけている。クライアントへの提案から開発まで、自分で仕事をコントロールできているという実感がある。
人生はフルコース。仕事は「サイドディッシュ」でいい
現在は、週休3日制度を利用している。特定の曜日を休むことで給料はその分減額されるが、人事上のペナルティはない。副業や介護、ボランティアなど、個々の事情に合わせて柔軟な働き方ができる制度だ。
「会社としては人件費をカットでき、社員には副業などを通じて得た知見を会社に還元して欲しいという思惑があります。もちろん、休むことで会社への貢献度が相対的に下がる可能性はありますが、それでもいいと思えるからこそ、この制度を利用しています。」
その根底には、育休を経て確固たるものとなった「家族≧仕事」という価値観がある。しかし、全てが順風満帆というわけではない。新たな葛藤も生まれている。
「AIの本質を本当に理解している専門家は、世界でもごくわずかでしょう。自分はどうかと問われると、まだその本質を掴めていないというモヤモヤがあります。だからこそ最近は、AIの利用方法だけでなく、哲学や倫理といった側面にも関心が移っています。」
仕事と育児に加え、自身の健康も考えなければならない年齢。「Mid Life Crisis(中年の危機)ですよ」と、ざくさんは笑う。コーディングをすれば肩が凝り、体力の限界も感じる。だからこそ、仕事だけに依存しないバランス感覚が重要だと語る。
「人生が料理だとしたら、カレーライスばかりじゃなくて、色々なものを味わった方が豊かですよね。僕にとって仕事は、人生というフルコースにおけるメインディッシュではなく、サイドディッシュくらいの位置づけ。お金を稼ぐための手段と割り切っています。仕事がメインになると、資本家の論理に巻き込まれ、心まで蝕まれてしまうかもしれませんから。」
ワークライフバランス、という言葉がある。しかし彼の感覚は少し違う。「ワーク・イン・ライフ。人生という大きな器の中に、仕事という要素がある。それくらいの感覚が、今の自分にはしっくりくるんです。」
会社中心の人生から抜け出し、自らが太陽となって輝き始めたざくさん。彼の生き方は、私たち一人ひとりに「あなたにとって、人生のメインディッシュは何ですか?」と問いかけている